故郷の豊かな農地は自らが守る責任がある
自分たちの手でつくったものを届けたい
金沢農業は金沢市周辺と輪島市門前町で、有機栽培にて、米、麦類、大豆、野菜などを生産しています。生産物は、グループ会社である株式会社金沢大地で食品加工後、通販や直営店で販売。能登を中心に、農業生産法人アジア農業株式会社を展開しています。代表の井村辰二郎さんは稼業の農家を継ぐ5代目、現在52歳。井村さんが農業を始めたのは1997年のこと。いずれ生活するなら石川県と決めていたものの、進学のため石川を離れます。大学4年のとき父親の体調が悪くなり、石川に戻ることを決めます。しかし、いきなり農業を始めるのではなく別の仕事を経験するようにと、父親からの勧めもあり、地元金沢の広告代理店で働くことに。それから8年、就農、金沢農業をスタートさせます。
就農時、井村さんの頭の中には、有機農業・有機肥料をつかった電力供給・食育への取り組みなど、思い描く就農の設計図がありました。その設計図どおりに地元金沢市で農業を始め、ひとつひとつ出来ることを増やしていきます。今では、有機栽培にて農産物を生産し、加工、販売する体系が整い「自分たちの手でつくったものを、自分たちで加工し、届けることができるようになった」と井村さんは振り返ります。
日々新しいことへの取り組みをしている井村さんが、人を増やし始めたのは、農業分野で10年前・金沢大地で6.7年前のこと。当初は石川県内だけではオーガニックの需要がそれほどなかったため、東京・名古屋・大阪で展開しながら、石川県内での販路を徐々に拡大していったそうです。売り上げも徐々に増え、約180ヘクタールを耕す大規模有機栽培農家に成長しました。
能登プロジェクト-故郷の環境保全のため
農業を始めてしばらくしたころ、地域に耕作放棄地があることを知ります。環境保全が大切であると考えていた井村さんは耕作放棄地を自ら開墾しようと動き出します。少しずつ開墾し、年10ヘクタールほど開墾し続けたことで、金沢近郊の河北潟干拓地には耕作放棄地がほぼなくなりました。でも井村さんはここで立ち止まることをしません。毎年放棄地を開墾し続けてきた、想いや身体は止めることができなかったそうです。そんな井村さんは県の担当者に相談し、能登にはまだまだたくさんの耕作放棄地があるということを知ります。
そこで始まったのが、能登プロジェクト。2006年輪島市門前町山是清(やまこれきよ)・2008年珠洲市八ケ山(はっかやま)。土壌が赤土・珪藻土であることから農作物は小麦・大豆・そば・じゃがいもが中心です。プロジェクトを始めたころ、金沢で「井村です」と名乗れば、広く知ってもらえるようになっていた時期ですが、能登では、受け入れてもらえませんでした。何度も足を運びながら関係性を作っていきます。そんなとき、ある企業の方に「法人格を持つことが、ひとつの信頼につながる」とアドバイスを受け、農業生産法人アジア農業株式会社を設立。本格的に能登での耕作放棄地の開墾が始まっていきました。
能登の農産物が実るようになったころ、地産地消を目指していた井村さんは、「能登ちょんがりぶし」という焼酎に使われている大麦が他県のものであることを知ります。能登産のオーガニック大麦を使って能登の名の付いた焼酎を作ることをメーカーに提案し、井村さんたちの作った能登産オーガニック大麦でつくった焼酎が実現します。現在は、オーガニックの大麦でつくった麦茶を多くの人に届けるため、販売に力を入れているそうです。
この地の魅力は多様を認めるベース
井村さんは農育のコミュニティ活動の中で、子どもたちに農業を通じて生態系を伝える活動をしています。ある日作業場から転がった大豆が事務所横のコンクリートの割れ目から芽を出します。この幸運の大豆から収穫した豆から生まれた次の豆を子どもたちに渡し、学校や家庭で育ててもらっています。育てるコトの意味を伝えながら、豆のいのちをつないでもらうのです。4年前からは、「春蘭の里 農家民宿 のとむすび駒寄」で修学旅行生の受け入れを始めました。大阪や東京から能登の地に来てくれています。これからも修学旅行生の受け入れやグリーンツーリズムといった方法で多くの人に来てもらい、この地で暮らしたいと思う人が増え、その人たちの仕事も増やせる環境を整えたいと考えています。
「まずは能登に来てもらって体験してもらうこと、モノを売るだけではなくコトを届けたい」と井村さんは言います。石川県は縦に長い地形が特徴で農産物も多品種。海があり、山があり多様性の良さがあるので、暮らす人々にも多様を認めるベースがあると井村さんは感じています。どうしたら持続可能なのか、何をしたら地域の環境を保てるのか常に考え行動しています。2年前からは、理念をつないでくれる後継者を育て始めました。事業を共に守ってくれているスタッフのみんなとずっと千年先まで豊かな農地を残していくという井村さんの想いはこれからさらに拡がっていきます。