自分にとって贅沢で心豊かな暮らしを見つけた
山中漆器の木地師として、職人のまちで生きる
愛知県から移住し、加賀市で山中漆器木地師として働く田中瑛子さんは、高校生の頃から工芸に興味を抱き、大学では漆芸を専攻しました。卒業後に、漆器の技術を学ぶため、こちらの研修所に来てみると、山中漆器が木で形をつくる技術に特化していることに改めて気づき、「自分が思い描く理想の形を生み出せるのはここしかない」思うようになりました。
卒業後は、研修所の講師の元に弟子入りし、数年間夢中で師匠や先輩職人の技を学びました。修業は厳しい面もありましたが、昔から伝統工芸が受け継がれてきたまちと気質というか、「学びたい」と教えを願う者に対しては、師匠もまわりの方々もとても親身に接してくれました。と田中さんは振り返ります。
作家として独り立ちしてからは、すべての工程をすべて自分ひとりで行い、作品をつくっています。作品づくりにおいて一番大切にしているのは、アウトラインの美しさや手の中にしっくりと馴染む感覚。それを納得いくまで突き詰められるのも作家の醍醐味だと田中さんはいいます。
木の表情を独特の感性で生かした田中さんの作品
本来は分業である木地制作と塗りの工程もすべて行う
ギャラリーを拠点に作家活動に没頭
田中さんは独立する少し前に開いた展示会でのご縁をきっかけに、加賀市大聖寺にあるギャラリー&カフェ「工芸空間フゾン」にマネージメントをお願いすることになりました。古い町家を改装した店内に作品を常時展示し、ここを拠点に東京やニューヨークでの個展も開催しています。
ここには古い町家が当たり前のように残っていて、昔から受け継がれてきた伝統や風習を大切にして生活する文化があります。ちゃんと人の手でつくられた、ぬくもりのある生活用品が残っている。地元の人は当たり前のように思っていますが、それって実はとても贅沢で豊かなことだと思いますし、そういった「まちの佇まい」にすごく刺激をうけます。都会に比べると物は少ないかもしれませんが、なくて困るものなんてそうそうないことに住んでみてはじめて気づいたそうです。
もともと職人が多いまちだから、作家をしている人間をすっと自然にうけいれてくれる懐の深さもありがたかったです。ここで生活していなければ、作家を生業にできたかというと疑問ですね。と田中さんはいいます。
現在は山中温泉の近くに家と工房を借りて生活しています。もともと静かな環境で作品をつくりたいと思っていた田中さんは、海も山も近い加賀の自然が大好きなのです。時間があるときは神社をめぐったり、橋立のように歴史を感じるまち並みを散策するのも好きなのだそうです。加賀市には鹿島の森のように不思議な場所がたくさんあって、それを発見するのも楽しいと教えてくれました。
鹿島の森/加賀市塩屋町にある、周囲600mの陸離続きの小島。数百年斧を入れることのなかった森はこんもりとした緑に覆われ、アカテガニの生息地としても有名
田中さんのところに地元の友人が訪ねてきたときに、喜ばれるのは食べるもののおいしいさ。こちらに来てからよく日本酒も飲むようになったそうです。このまちと人に作家として育てていただき、まだまだ勉強中ですが、このまちで得たものをいつかは田中さん自身が伝える立場になりたいという意識が芽生えてきたそうです。自分自身がそうだったように、ここが自分らしい生き方を探しながらたどりついた場所になる人が増えてほしいと田中さんは考えています。
城下町の面影が残る大聖寺のまちなかにある「工芸空間フゾン」
山中漆器は加賀市山中温泉地区で生産される漆器。天正年間(1570-1592)に始まったと伝わり、木目を生かした意匠が特色。(写真/田中瑛子さん作)
大聖寺は加賀百万石の支藩・大聖寺藩の城下町として栄え、城下町の面影が残る。まちを流れる旧大聖寺川では川下りが人気。
橋立には江戸時代に栄えた北前船の船主が住み、「日本一の富豪村」とも呼ばれた。重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。