トップ 移住者インタビュー 時代とともに ここ穴水町で地域と歩む

2016.03.06
穴水町

時代とともに ここ穴水町で地域と歩む

父の背中

能登ワインの産地

一歩足を踏み入れると、ここは日本なのかと目を疑うほどのぶどう畑が広がる日本有数のワイン産地「能登」。ここ数年、日本ワインにスポットが当たるようになり、ここ能登も人気の産地です。この地で、この能登ワインのぶどうを育てているのが、株式会社okurusky村山智一さん。先代は農家ではなく、この穴水町で建設業を営んでいました。先代は、この地で自分に何ができ、何が必要かを考えて起業されたといいます。父の教えは、「商売するなら自分で考えてやりなさい」ということ。

その教えを胸に、土木の受注管理の会社を26歳の時に起業した村山さん。起業当時は地方の再開発が盛んな頃で、この地でも能登空港建設があり忙しかったのですが、その後、建設・土木の業界は衰退していきます。そんな時、能登ワイン誘致の話が穴水町にあり、すぐ近くにワイン工場ができたことで、祖父の土地がぶどう畑になることが決まり、村山さんはぶどう栽培のプロジェクトメンバーの一員になりました。そして、しばらくは建設・土木と兼業でぶどう栽培をしていましたが、自分にはぶどうの方が向いているし、何より楽しく、夢があると平成21年にぶどう農家へと転身しました。

生産者の存在価値をあげたい

現在、環境負荷に考慮した独自の栽培方法を選択したことや、収量・品質ともに安定してきたこともあり、県外の醸造メーカーへの販路開拓など、少しずつぶどう農家として認知されてきています。でも、ワインのためにどんなに良いぶどうをつくっても、自分達がフォーカスされることはまずないといいます。たしかに、消費者には伝わりにくいところです。
ぶどうの良さをアピールするためにも、ぶどう生産者にフォーカスしてもらうためには自分達も努力が必要であるし、能登ワインのぶどう産地として共にスタートを切ったどの農家も経験を積み収量が多くなれば、ぶどうが溢れるので、新しいことに挑戦し続けなければならないと奮闘しています。

ひとつブランド

例えば、6次産業化として、ワインのために試験的につくったぶどうを干しぶどうにしたり、石川県の野菜を中心としたピクルスなど「ブドウ畑とワイングラスの間におきたくなるもの」を考えて製品にして、1つのブランド“HITOTSU”を立ち上げました。1つ1つ大切につくること、みんなを自分達の取組みで笑顔にしたいという想いでつくられたロゴ・デザインはすごくかっこいいです。でも何よりも、能登の恵みを届けようという想いがかっこいいのです。

後世に繋ぐ

オクルスカイ

村山さんは仕事に全力を注がれています。仕事ばかりの毎日ですが、仕事のつながりからすごくたくさんの人に囲まれているんだなという印象を受けました。それはきっと石川県を想い、能登を想い、穴水を想っている仲間と共に、この地を守っていきたい、伝えていきたいという想いが溢れているからだと感じました。村山さんは能登半島地震で家をなくされています。思い出のものは消えてしまったけど、「かたち」として残せるものはないかとカードゲームをNPOのメンバーと制作。このNPOも、地域の中で横のつながりを持てるようにとスタートしました。そんなメンバーとも協力しながら、後世に伝えるために、畑作業や能登のいろいろな方と交流ができる子供のためのツアーを毎年数回実施しています。どうしたら、次世代に農家も含めバトンを受け取ってもらえるかを考えながら、地域の良さを伝えています。社名の「okurusky」は贈る+限りなくという意味で、まさに社名のよう。

クッキー

子供だけでなく、大人にもインターン制度を取り入れて、商品開発など新しいことにどんどんチャレンジしてもらっています。このインターンの方の宿泊は、父親が以前通っていた小学校をリノベーションした場所。「いつまでたっても小学校を卒業できないな」と周りからは言われるそう。でも、小学生のような探究心・行動力で、農業だけでなく、農業専門のまちづくり会社としても成長している、そんな印象を受けました。毎年海外にも行き、今度は海外と技術交流がしたいと留まるところを知りません。能登ワインが世界のワイン産地の1つとして確立される日を夢見て、HITOTUずつ着実に。
この穴水には、農業から広がる新しいまちが存在していました。

おくむらさん