移住から、定住へ。地元目線でみえてきた至極の“のとじかん”。
- #移住
縁とタイミングがピタっときた、能登との出会い。
お話しを伺った当日が誕生日で、38歳を迎えられた移住コーディネイターの森進之介さん。今までは、美容師、新卒採用の仕事、デザイン会社のディレクターを通し、人の人生の節目に関わるお仕事を経験してきました。自身のプライベート、仕事の節目のタイミングを逃さない、鋭い嗅覚がある森さんが移住に至るまでの能登との縁や、現在の仕事である能登町での定住促進協議会に関わったきっかけをうかがいました。
もともと出身が金沢で、3年前にこちらに移住。その前は、金沢市内の商業広告を中心にデザイン会社のディレクターを担当されていたそうです。「時々、能登エリアの行政や農家さんの企画を担当する機会がありまして、初めて能登にきたのは、4年前ぐらいに穴水や志賀町を仕事で訪れたことがきっかけです。個人宅でも卓球台やシアタールームがあるくらい家も広い、お酒も美味しい、食べるものも美味しい、おや?なんかおかしいぞ?と都市より能登の豊かな生活に興味を持ちはじめました。」
その後も、能登の酒蔵を回りながら、まち歩きをするという聖地巡盃の企画の仕事を受けた際も、下見をしながら能登に通うようになり、とにかく海が綺麗、釣りをしても良いものが釣れる、と足を運ぶたびに森さんは能登の虜に。プライベートでは、ちょうど4人目の子供が生まれたタイミングもあり、仕事に対してライフワークバランスを見直して、ちゃんと家族との時間も稼がないと父親業ができないと感じていたそうです。
そこで再び能登で味わった豊かな生活を思い出し、じゃあ能登の家賃はどれくらいだろう?と(一社)能登定住交流機構に問い合わせてみたとき、ちょうどこの定住促進協議会が立ち上がったばかりで、人手が足りなくて困っているということを知ったそうです。
日本語が通じるけど別の国!?ローカルルールを大切にした集落維持活性へ道。
移住を希望する方が能登町を知る一番のきっかけは、旅行で訪れたことから。そんなIターン者向けには、まずは短期間の移住体験を行い、実際の移住までのステップをわかりやすく設定、住まいを決めるまでの流れを整理するなど、自身の経験を踏まえて対応の基礎をつくられたという森さんの移住コーディネイターの仕事。
森さん自身、能登への移住を決意し家族に打ち明けたとき、反応はあまり良くなかったためすこし辛い経験をしています。でも何度か家族と話をしながら移住体験をしていく中で、本気で移住したいという気持ちが伝わり、先輩がコーディネートしてくれた短期の移住体験を家族で体験。ちょうど一番上のお子さんが小学校に入学した年だということもあり、子供が転校することに対して嫌だといったらやめようとおもっていたそうですが、思ったよりも馴染んでいたことで、平成27年6月22日に移住を決意。翌月の7月1日より能登町定住促進協議会の活動も本格的に開始したそうです。
「1年目は、問い合わせがあれば、全ての方の要望にそのまま対応してきました。2年目は、1年目の経験を生かし、集落の維持活性を一番に考え、長い目でみて、移住することだけではなく、しっかりと地元にマッチしそうな方の受け入れを念頭において対応することにしました。」
森さんが大切にしていることは、能登町で「暮らす人」をこの地に導くこと。それは、能登町のこれからのことを一緒に考えられる人であり、昔から能登町が大切にしている伝統文化や風習を理解し、地域の一員となれる人を受け入れること。そして、移住希望者のそれぞれの要望を徹底的にヒヤリングして、移住プランをオリジナルで作ることなのです。
また、森さんが所属している能登町定住促進協議会では、少しでもスムーズに移住者に対応しようと平成28年に能登町定住促進協議会の中で、住宅整備事業を立ち上げ、地元の方と移住希望者の間に入っての移住体験の受け入れや、住まいの整備や賃貸契約をおこなえるように事業を拡充しました。さらに、移住者に対応しやすい住環境を整えてもらえるように行政へ相談し、移住者向けの集合住宅も準備することができました。能登では、自分の家を先祖代々守ることが大切だという文化があり、なかなか他の人に自宅を譲る、もしくは貸し出すということが難しいケースや、登記が整理できていないケースもあり、難しかった住宅探しの環境もすこしずつ環境を整えています。
価値観がかわるまち、能登。
気がついたら移住して3年で、自然と身についた無理をしない日常生活。食べ物の美味しさ、物の価値、時間の使い方など、これまで自分が暮らしていたところと比べると、いい意味で感覚がおかしくなってしまったと話す森さん。充実した日常の様子は、誰もが憧れる新しいライフスタイルに思えます。
「朝起きて玄関先に筍が山のように置いてあったり、たくさんできたからじゃがいもを取りに来てと、近所の方に声をかけてもらったりと、移住したてのころに悩んだのが、おすそわけの文化です。」森さんは、近所の方からいただいたら何かお返しをしないと申し訳ないといつも思っていました。でも、地元の方からは、ここでは「お互いさま」が“おすそわけ”だから気にしないでと教えてもらったことで、おすそわけに感謝して、なにか自分ができることを見つけたときに、そっとお返しをするようになったそうです。
また、住みはじめて改めて能登の食べ物は美味しすぎることに驚いたと森さんはいいます。「一般的に日本の旬は四季にあわせて4回ですよね。能登の旬は2週間に1回くるので、味わうのに忙しいです。季節に追われる感じ。」一方、仕事柄、連休は取れないこともしばしばあるそうですが、前職と比べて17時すぎには帰ることが増え、平日でも子供と一緒に夕食やお風呂に入るなど、父親らしいことができていることが格段に多いと感じています。
森さんと話していると3年前に移住してきた方というより、本当は、生まれも育ちも能登だったのではないかと感じてしまうほどです。森さん自身の実体験に基づいた独自の気づきのエピソードは、おもわず聞き入ってしまうほど。「こんな人がいるなら」能登で暮らしてみたいと感じる方も多くいらっしゃるのではないでしょうか。これから地元をますます盛り上げてくれる、能登のまちづくりに欠かせないキーパーソンの一人だと感じました。