トップ 移住者インタビュー 名前の通り、ワクワクがたくさん「わくわく手づくりファーム川北」

2017.12.04
川北町

名前の通り、ワクワクがたくさん「わくわく手づくりファーム川北」

地元への想いを込めたビール

川北ビール

石川県に地ビール工場があるってご存知ですか?このビールは、北陸新幹線開業時から新幹線のビールとして採用され、グランクラスや車内販売でも飲むことができます。石川県を代表するビールとなった、能美郡川北町の「わくわく手づくりファーム川北」のビール、実は、紆余曲折を経て辿り着いた奇跡のビールだったのです。

まずは、川北町の魅力から。川北町は全国で住みやすい町として有名で、総人口に占める若年女性(20歳~39歳)の増加率が日本で一番高く、子育てしやすいと人気の町。保育料は子ども3人目無料、18歳まで医療費は無料で、「人間ドック(脳ドックとPET)2つで17万円ぐらいかかるけど、約9割は町が負担してくれる」とわくわく手づくりファーム川北代表の入口博志さんが教えてくれました。本当に住みやすくて、田園風景がたまらないとのこと。

川北町

川北ビール入口さん

もともとは服飾関係の仕事をしていた入口さんは、実家の農家を継ぎ、平成11年に起業。現在15haの農地で、お米と麦を半分ずつ栽培しています。

「ものを作ることが好き。新しいものを作ることに抵抗がなかった。だからこそ、この川北で生産されている麦を生かしてビールを作ることに目をつけた。」

田園風景を残したい。地元のものを活用したい。その想いが根本にあり、新たに平成12年よりビール作りに着手します。そして、大豆は味噌へと、地元の素材を活かした加工品も数多く作っていきます。

努力の末に辿り着いた最高品

新たな夢、ビールに向かって1歩ずつ歩み始めますが、資金繰りとの戦いでもありました。最初の事業計画は厳しく設定しようと考え、目標60kLに。しかし結果は16kLとなり、缶ビールに概算すると5万缶程度。地元メンバー4人で出資して始めたけど、世の中そんなに甘くないと痛感したと入口さんは当時を振り返ります。

また、ビールを作る時の麦芽「モルト」(芽をもう一度出し乾燥させて糖化しやすくまた風味を出します)を作るにも設備に高額のお金がかかることから、栃木県の麦芽工場へ麦を運んで加工してもらっていましたが、ある時「小規模の対応ができなくなったから、自前でやってほしい」と言われます。

どこかにないか探し求め、当時全国に3箇所ほどあった小規模の工場にも無理だと言われ、「辞めるか、自分でやるか」と覚悟を決めなければならなくなった入口さんに転機が訪れます。平成20年に石川県のファンド事業で、地元の資源を使った商品開発に対する支援を目的にした事業が始まり、椎茸の乾燥機を借り受け、自分で育てた麦を使ったモルトを作ることにチャレンジ。

しかしモルトのデータを取りはじめ3年間頑張って、何とか開発の目途は経ったものの、その施設を作るお金がなくてこれからどうしようかと、またどん底へ。そんな時平成23年度に、今度は国の6次化事業の支援事業がはじまり、それに手を挙げました。農水省からの補助で、乾燥の機械を入れて「加賀百万石ビールを作ります」と宣言。5年後の事業成果として、「ビールには合わないと言われる川北町の六条大麦を使ってビールを作り、新幹線が開業されたら、金沢駅で10万缶売ります」という計画を立てて採択されました。

川北ビール

ここから大どんでん返しがスタートし、先に国への補助事業の申請前にJRへお願いし、「地元の六条大麦を使って、日本人の舌に合うビールを作るのでぜひ取扱いしてほしい」と何度も通い、金沢駅で「金沢百万石ビール」など他セットのお土産品を販売するに至りました。その後、夢は、北陸新幹線の車内で若い女性が飲みやすいフルーティーなビールを出すこと。小麦と六条大麦を使って、フルーティーなビールを作りたいと26年度に再び国の事業に応募し、新幹線での採用が決まったのは開業の直前でした。

今後の夢

金沢駅や北陸新幹線でのビールの採用、そして販売数も上昇し、従業員も13名ほどになりました。ビール工場と合わせ、レストラン、バーベキューができる場所、産直物産館も運営し、地元密着にて経営もされています。次なるステップは、ブームで終わらせない基盤作り。東京駅の駅弁屋さんで多くの人が買い物をしている様子に目をつけて、お米入りのオリジナルビールを作る提案をして取扱いに。次に、金沢駅でしか買えないビールを作りたいと、能美市でハト麦をつくっていたので、ハト麦を入れたビールを金沢駅限定で作り、駅の市場において地位を確立していきました。

そして、世界へ。平成27年にシンガポールにアンテナショップを作り、台湾・香港に輸出を始めて、平成28年8月から北米へ。ニューヨークとロサンゼルスに行って、取引する企業を決め、ライセンスを取り、アメリカは瓶にて輸出を開始。「私の本職は田んぼだと思っているし、お米や麦などものづくりをしているのが幸せ。田んぼの合間に醸造を手伝っていますが、人が足りないので、一緒に頑張ってくれる醸造ができる人を募集しています!」と入口代表。

入口さんは、東京オリンピックも見据え、製品や生産量を計画しています。今後は、海外へ行った時「麦も麦芽も自分で作ると周りに話すと、ホップはどうですか?」と言われることがあり、ホップも自家製と思い、平成29年から開始。「ホップができると、ビールを純国産で作ることができる」夢は、純日本産ひいては石川産のビールを、世界へ。入口さんの道なき挑戦は続きます。わくわく手づくりファーム川北の“ワクワク”が止まりませんね。