理想を求めた豊かな暮らし、人と地域の温かさ
「備えよ常に」が繋いだ石川移住
石川県と富山県の県境、羽咋市の静かな山間にあるくつろぎの古民家カフェ。優しい声で出迎えてくれたのは焙煎人兼マスターの武藤一樹さん。店に一歩踏み入れば心落ち着く珈琲の香りとユル渋かっこいいBGMに包まれます。
「金沢美術工芸大学出身なので、うっすらと将来石川県で仕事がしたいと思っていました。ただ、卒業後に絵の道ですぐ生活していけるか?と考えた時に難しかったんです。自分が好きなのは音楽と珈琲。なら将来は好きな音楽をかけて喫茶店をやりたい。まずは珈琲修行に出ようと考えました。」卒業後は東京の大手CD販売店に就職した武藤さん。東京で自家焙煎を行なっているこだわりの珈琲店をいくつも通い、自分の知識を高めていきました。
「僕が目指した珈琲店のスタイルは、家族経営や夫婦経営が多いんですよ。だから従業員を募集していないので、通いつめて色々教えてもらいましたね。その後、石川県の大手珈琲専門店に入社して、コーヒーマイスターや野菜ソムリエ、販売士の資格を取得しました。他にも産地情報や流通経路、提供のスタイルや、接客提案の仕事など学ばせていただきました。」
幼少の頃よりボーイスカウトに入っていた武藤さん。人生で行動を起こす際には、ある言葉を大事にされていました。
「備えよ常に(Be Prepared)は教訓ですね。『何事に対しても、いつでも必ずやり通し、常に準備をしておく』これは念頭に置いています。ちなみに今回の移住で備えになるものは『自給自足』と考えました。山間地の商売には不利立地と思える場所で、家族を養い持続的な生活ベースを築く為には、薪などのエネルギーも含めた自給自足が必須という結論に辿り着いたのです。何事も『やらされて』やった事は続きませんが、『必要に駆られて』となると大変に良いプレッシャー(ストレス)が働きます。実はそれまで農業の経験はあまり無く、趣味でハーブなどを育てた程でしたが、おかげで今では約一年分の家族の食料を自給できる、最低限の経験と技術を得られた気がします。私が思うに、生活が安定する事と商売が安定するという事は、車の両輪のようなものですね。そして特に農村部の話ですが、持続可能な移住生活は『豊かさの代償を自分の動きで賄える』という、シンプルな喜びに溢れていると思います。」
備え、行動し、積み上げてきたからこその今であり、武藤さんの言葉には移住によって得られた喜びの大きさが伝わってきました。しかし、ここまで行動力がある武藤さんでも、ある伝統を知るまでは畑探しにとても苦戦されたようです。
烏帽子親(よぼしおや)
「余所者にとって、集落に入り、畑を貸してもらうのはかなりハードルが高い事なんです。そんな中、能登の伝統である烏帽子親烏帽子子(よぼしおやよぼしこ)がある事を知りました。養子縁組みたいな習慣なのですが、親から畑や物件を貸して頂いたり、保証人になっていただける代わりに、僕も仕事や冠婚葬祭を無報酬で手伝うといった具合に本当の親子の様な関係になるんです。実際この習慣のおかげで店舗や畑を借りられましたし、集落の中で認めていただける様になりました。扱い的にはおっさま(次男坊)ですけどね。本当に色々助かってます。」
烏帽子親は能登全域に古くから伝わる伝統の一つで、昭和初期までは盛んに行われていました。「郷に入っては郷に従え」に通じる謙虚さを最大限に発揮できるシステムであり、移住の際に「親を見つける」「親を頼って立てる」事が摩擦の少ない移住成功のポイントとなりそうです。
病院が遠いのではないか、友達が少ないのではないか
「子育ての観点からまず不安になったのは病院への距離と、友達が少ないのではないかという心配でした。ですが、住み始めてすぐにその不安は払拭されました。まず羽咋市には開業医が多いんです。先生との距離が近い為、大きい病院での医療が必要とあらば、すぐに紹介状を書いて頂けます。最初から大きい病院で長時間待たされるという心配が無かったのです。
そして友達の数は都市部より少ないのかもしれませんが、集落全体が大きな家族なので、実際に遊べる人は多いです。畑に入って怒られたり、遊び疲れて寝てしまっても近所の方におんぶされて帰ってきたり。自然に歳の離れた人ともコミュニケーションがとれるスキルは、都会ではなかなか身につけ難いかもしれませんね。地域の目という安心感のおかげで、子どもの大きなトラブルは聞きません。これは子育てにおいてとても心強いです。」
一見、余所者が近寄りがたい地域でも、お互いを想い合う心があれば豊かな暮らしが実現できると感じました。また、まだまだ地域には若手の需要があります。加速的に高齢化が進んでいる為、山間地での生活の買い物が不便である事、一人暮らしの見守りといった福祉面でプラスになる事から「雑貨店の開業」等は高いニーズがありそうです。移住してきた一家族が生活するには十分な商いが行えます。「集落には仕事が無い」ではなく「集落だからこその需要」が数多く眠っています。早いもの勝ちではありませんが、気づいた人が集まり、地域を活性化していく将来が楽しみです。