人生は想いの循環、学んだ町で仕事をする
- #Iターン
巡り巡って、石川に戻ってきた
仁谷沙耶香さんの生まれは新潟県で、金沢大学に進学。卒業後は単身メキシコへ行き、日本語学校で講師を行い、学びを深めるために金沢大学大学院へ戻ってきました。この地に戻ってきたのは、仲間の存在が1番大きいといいます。
―メキシコへ行っていた間、大学の先生が支えてくれた。
―メキシコから何度か帰省したとき、金沢の仲間が会いにきて安心感をもらった。
人の魅力もさることながら、石川のちょうど良い衣食住の規模感も心地好いそう。金沢駅近くや片町あたりの賑わい、兼六園や昔ながらの町並みなど魅力は数知れず。石川に戻る理由の1つに、金沢に色濃く残る日本文化が日本語教師としての学びにつなげられるのではという想いもありました。いろいろな想いがちょうど交わり、今年の4月からは縁があった、第2の故郷「石川」での講師業をスタートさせました。
学生時代の転機
仁谷さんの大学選びのポイントは、「人と同じが嫌」そして「吹奏楽に情熱を注げる」ことでした。仁谷さんは「これが当たり前」という価値観に疑問を持ちやすいそうで、「新潟だと大半は東京か地元、北陸は誰も行ってないのでは?」と金沢大学を選びました。選んだ学部は、人の心の動きに興味があったことから文学部人間学科へ。2年生からは文化人類学を専攻して学びました。
しかし、大学1・2年時は学問よりも吹奏楽とアルバイト中心で、生活が高校と変わらないことに気付きました。吹奏楽で全国大会に出場したことで部活は自分の中で一区切りがついたことから、新しい世界を見たいと思っていたとき、石川県ユネスコ協会青年部の「ベトナム・カンボジアスタディツアー」の企画を見て、これだと思い応募。国々のいろいろな現状を見て、「こんな世界があったんだ」「世界の人とつながりたい」という気持ちが強くなりました。大学生活では、留学生に日本語や文化を教える「チューター」をして、このことも転機となり、3年から学部転換をして教育学部で日本語教師の道を志します。
日本語教師としての夢
大学在学時には、日本語教師を志す上で、学習する人の気持ちが知りたいとカナダへ留学。人の縁からメキシコに興味を持ち、卒業後はメキシコへ日本語教師として旅立ちました。帰国後は日本語教師として生きていく覚悟を決め、大学院で学び、現在の大学講師へ。現在、北陸大学では8クラスを担当し、作文クラス・読解クラスなど様々なクラスを担当しています。
北陸大学は、中国の大学と北陸大学で2年ずつ単位をとれば、両方卒業できる「2重学位」という制度をいち早く取り入れています。この制度もあり、中国の留学生が圧倒的に多く、その学生たちに日本語を教えています。教室では自身のカナダの体験から、外国人が日本人のコミュニティに入っていくのは難しいということを感じており、彼らの「居場所」をつくれるように心がけていると語る仁谷さん。
石川という立地は日本文化を知るのには最適の場所で、学生も大都会と違い、生活面でも生活しやすいので、北陸大学だけに限らず、専門スキルや日本語を学びに来る学生が多いとのこと。少しずつ、仁谷さんの想いがつながり、留学生の心地好い居場所が増えていくといいですね。
――外国に行って、自分ってすごく薄っぺらいと思った。
この言葉通り、今は、より日本を知りたいという想いが強くなり、文化や日本語の背景を留学生に教えてあげられるような日本語教師を目指し努力を重ねています。でも、もちろん、留学生の想いに寄り添うことを1番に。
まさに今、大学1・2年の頃に興味があった「人の心」「日本の文化」という点に意識が戻ろうとしているようで、学びの積み重ねを大事に、何より「人の想い」の積み重ねを大事にして歩んでいます。何より、彼女といると自然と笑顔で溢れました。人生を悩みながらも精一杯石川の地で楽しんでいる仁谷さん。とっても素敵です。