ILAC

受け継ぐこと、切り開いていくことの調和「たけもと農場」

祖父が農家のスペシャリスト


石川県能美市で約46haの水田に、7種のお米を育てる「たけもと農場」。地図を使ってどこで今何を育てているかわかりやすいように、カラフルに色分けしています。それくらい広大な土地でずっとお米一筋に育てている、たけもと農場の10代目社長竹本彰吾さんは大学卒業してから、たけもと農場で働き10年目を迎えます。
たけもと農場を訪れると、まず目を引くのが田んぼの中に突然あらわれる大きな設備と銅像です。銅像になっている人は彰吾さんの祖父にあたる8代目の平一さん。彰吾さんは農業を指導してもらったことはないものの、父の仕事ぶりから学び、祖父が執筆した農業の本を読みながら、その偉大さを感じています。



祖父の平一さんは、農業の本を執筆し、昭和40年には朝日新聞社が主催する、農家オブザイヤーと名高い、「米作日本一技術者賞」を受賞するほどの人物でした。当時は、戦後の食糧難の時代であり面積あたりの収量がとても重要。その時代に収量のチャンピオンだった祖父 平一さんは収量を多くしながら、よく実るように品質管理を正しく行い、全てのバランスを見て農業に愛情を注いだからこそ、今「たけもと農場」が続いているのでしょう。銅像の大きさ同様に、たけもと農場にとって祖父 平一さんが残してくれたものは大きな大きな存在です。

地域が求めてくれたから完成した「イタリア米」






お米の銘柄を7種育てている「たけもと農場」ですが、他では見ない変わり種を育てています。それが「イタリア米」です。イタリア米を作り始めたのは、今から8年前。金沢市のイタリア料理店との出会いからでした。「一気に輸入するため、お米の味が落ちてくる」「お米の粒が小さいので、輸入の際に割れやすい」「輸入品のため、高い」などの問題を聞き、「作ってくれると嬉しいのだが…」と聞いた彰吾さん。どうやらこの時、イタリア料理店店主は軽い気持ちで話した内容だったようだが、彰吾さんは店主の言葉を真摯に受け止め、直播きから行動を開始しました。これが日本でイタリア米の栽培をはじめた“歴史”です。

1年目は少量で試しに育て試行錯誤。2年目にできたイタリア米を持ってイタリア料理店を訪れると店主はビックリ!第一声は「本当に作ってくれたんだ!」だったそう。そのお米は、流通しているお米に比べて大粒で割れにくく、リゾットに合うように粘り気も少なくて求めているお米だったと喜んでいただけたとのこと。今では9割を関東に出荷するほど、遠方から注文があり、たけもと農場の主力商品となっています。他にも、スペイン米も同じような問題を抱えていることから、スペイン米の栽培に現在着手。日本で日本人の口に合うお米で他国のお米料理がおいしく食べられるのは、このような農家さんの努力があるからなのです。

農業の未来のため、地域のため、にできることを




イタリア米のように、問題があるから解決していくという同様のプロセスを繰り返してきたことで「たけもと農場」が続いてきたと感じることがたくさんあります。まずは肥料。肥料は化学肥料よりも有機肥料を選択。それは消費者に食味のおいしいものを届けるため、そして健康や地球環境を考えてのこと。「化学肥料は早く効くが、有機肥料はゆっくり効いてお米のおいしさや土地に影響を出さない」という想いのもと、有機肥料にて特別栽培米を育てています。

人への想いは、地域への想いへと続き、地元の小学生に総合学習や社会科の授業にて農業を教えています。また、新規就農者を増やすことや農家の収入の担保、投資を少なくすることなども考え、機械の技術進化の開発にも積極的に参入。未来の農業も見据えて、“今”の農業を精一杯支えています。「大事にしていることは、人を育てること・地域を育てること」だと語る彰吾さん。6名の社員とともに、石川のお米を全国に発信しています。お米をもっとくらしの傍に…たけもと農場には、新しさと昔から大事にしていることがうまく調和され今がある、そう感じました。

最後に、昔は秋の収穫時期が「よっしゃーやるぞー」とテンションが一番あがったが、今は、春の種まきで水・日光で芽が出る、そんな神秘さが嬉しい、と話す彰吾さん。農業は常に新しい出会いがある、そんな1日1日を楽しむ彰吾さんの笑顔が稲刈り後の田んぼに映えていたのでした。
この記事が気に入ったらいいね!
送信する